「リベラルアーツの社会実装」という新たな使命

新型コロナウイルス感染症の拡大は、世界中の至るところで社会のあり方やライフスタイルに大きな変革を迫ることになった。教育界においてもデジタル教材やオンライン授業の活用が叫ばれ、学生たちがリアルに集う場の多くが奪われる中、交流や対話の機会をいかに確保するかが切実な課題となっている。

一方、国際社会はパンデミック以前より分断の構図に陥り、地政学的な対立やナショナリズムの台頭、格差社会の拡大などが顕在化。気候変動をはじめとする全地球的問題とも相まって、社会課題の解決と経済価値の追求をいかに両立するかが問われている。

そうした現実社会の急場に臨み、大学はどんな役割を果たすことができるのか。1953年の「献学」以来、「人類平和に貢献できる国際的社会人の育成」を使命としてきた国際基督教大学(ICU)がその命題に対して指し示す解の一つが、「リベラルアーツの社会実装」である。岩切正一郎学長は次のように話す。

「社会の分断化が進み、他者をはねつける自分ファーストの風潮が高まりつつある中で、『批判的思考、対話、多様性を大切にし、国際社会に平和を築く』という確かなビジョンを大学が掲げ、教育の中でそれを実践していくことの重みが増していると感じます。本学がこれまで実践してきたそのリベラルアーツ教育のアプローチをさらに一歩進め、リベラルアーツによって培われる知恵と行動力を個人の素養としてだけでなく、社会全体のインフラとして定着させたい。そんな意思を込めて、『社会実装』という表現を用いました」

リベラルアーツとは、文理の枠を超え、人文・社会・自然科学にわたる幅広い知識を得たうえで専門性を深めることにより、創造的発想を可能にする教育をいう。ICUは日本におけるリベラルアーツ教育の草分けとして、これを体現するための「批判的思考」「多様性」「対話」を特に重視してきた大学である。

【リベラルアーツ教育】必要な語学能力や批判的思考を身に付ける
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「批判的思考・多様性・対話」の中で人を育む

では、批判的思考、多様性、そして対話する力はどのようにして得られるのか。ICUでは世界約50カ国からさまざまな学生が集い、学生数3000人という少人数教育に適した環境、さらに専任教員1人あたり19人の学生が織りなす緊密な関係のもと、学生生活を通じてそれらがごく自然に身についていくという。

異なる価値観や背景を持つ仲間や教員と対話を重ねながら触発し合う関係はまた、批判的思考を養う絶好の場ともなる。自分の信じたいものだけを信じるのではなく、違う意見を持つ人の話を聞き、議論したり交渉したり教え合ったりして、自分の立場も客観的に見つめ直しながら何かを学びとっていく。「批判的思考は、そうした手間のかかる作業を通じてこそ得られるものです」と岩切学長は言う。

「コロナ禍で先行きが見通せない状況が続く中で、世界では今、政治でも経済でも学問でも、多様性や対話がより重視されるようになりました。ですが、欧米諸国と比べると、日本にはまだ批判的思考力を働かせながら対話をするという文化が欠けています。例えばミャンマー問題のように、専門家でさえ先が読めない、どう判断するか意見が分かれる、そんな難問が山積している今の世界で必要とされる力が、この批判的思考です」

ICUには、その教育を実践できるだけの環境がある。学生たちはその中で自ずと多様性を理解し、また互いの共通点を見出して、より良い解決法や考え方へと向かっていく。それはすなわち、課題を見つけ解決する力を磨くための教育であり、その先にこそCommon Good(共通善)、つまり「みんなにとって良いこと」は何かを考えられる国際的社会人への道が開かれるのだ。

そんな教育を実践する具体例の一つが、SDGsへの取り組みである。ICUは2020年に国連大学設立のSDG大学連携プラットフォームに加盟し、2021年4月にはSDGs推進室を発足、環境研究やイベントの開催など、学生と教職員が一体となったさまざまな取り組みを進めている。学生主導で取り組む日英仏三言語版『ビジュアル版世界人権宣言』の翻訳・出版プロジェクトや、日本国際基督教財団(JICUF)との連携で非営利団体への助成金配分について実地に学ぶプロジェクト、養蜂家とのコラボでキャンパス内でハチミツを生産する地産地消の試みなどはその一例である。

【ICU大学院】優秀な学生は5年で学位と修士の取得も可能
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「自分の人生を自分で作る」ための大学

こうした活動を進めるうえで岩切学長が学生たちに伝えたいことは、「全体を見る力」の大切さだ。例えば、一つの目標を達成するための行動が、他の目標を阻んでしまう可能性もある。客観的な視点と多方面からの考察が必要であり、そこにリベラルアーツの学びが生きてくる。

リベラルアーツを取り入れる大学は増えているが、ICUの場合、教養学部1学部のみの単科大学であり、文理を横断する31の学問領域のすべてがリベラルアーツの中に存在することも大きな特徴である。学生たちは2年間でそれらを自由に学んだうえで、自分が専攻したいメジャー(専修)を見極める。決まった枠に学生を押し込めず、必要な科目は自分自身で選択するのがICUの学びのスタイルだ。大学はあくまでも「進みたい道を自分で選ぶための場」であると考え、カリキュラムでそれを体現しているのだ。

「ICUは自分の人生を作る、生き方のスタイルを学びの中で決めていく大学です。もちろん選択には責任も伴いますが、自由に自分を解放し、発見する喜びに満ちています。ICUでぜひそれを体感してほしい」と岩切学長は話す。

その思いはキャンパス整備にも表れている。2022年に完成予定の新館には、文理の垣根なく、多様な背景を持つ学生たちが集う仕掛けがいくつも施されるという。日常の中にも思いがけない発見や出会いが満ちている、ICUのリベラルアーツを象徴する場所になりそうだ。新たに誕生する学びの拠点を旗印に「リベラルアーツの社会実装」がどのように展開していくか、ICUの挑戦に注目したい。

【国際的社会人育成】国内外での社会活動「サービス・ラーニング」
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学長
岩切 正一郎
岩切 正一郎
いわきり・しょういちろう
1991年昭東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程満期退学、1993年パリ第7大学テクスト・資料科学科第三課程修了(DEA)。1996年から国際基督教大学教養学部で教鞭を執り、2019年に学部長に就任。2020年より現職。専門はフランス近・現代詩、おもに詩人ボードレールに関する研究、フランス戯曲の翻訳論と実践で、2008年には第15回湯浅芳子賞(翻訳・脚本部門)受賞している。